NAKAGAWA DESIGN OFFICE NAGOYA CITY
INTERIOR DESIGN PRODUCT DESIGN FURNITURE DESIGN...AND MORE
Kenji Nakagawa
中川 健司
1975年 名古屋生まれ
平成10年、日本デザイナーズ学院を卒業後「有限会社神谷デザイン事務所」に入社。2年後にチーフデザイナーとなり、その1年後には東京支社デザイン部部長に就任する。平成17年、同事務所を退社し独立、「中川デザイン事務所」を設立。名古屋を中心に店舗デザインを手がけ、現在にいたる。
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
久々にスープストックが飲みたくないり、
名古屋駅の13階のお店へ。
何故スープストックへ行ったかというと、日曜日のソロモンの王宮にて、
紹介されていたので懐かしくなりついつい行ってしまいました。
懐かしいとは、以前勤めさせていただいていました。
※東京に行ったのが11年前!!
神谷デザイン事務所 東京事務所の2軒となりにスープストックがあったからです。
場所は南麻布で有栖川公園の近くセガフレッドというカフェの上でした。
このときはそうとう、忙しくランチを外でとることができなく、
コンビに弁当がしょっちゅうでしたが、スープストックができてから、
ちょくちょくかって食べていました。
スープは胃にも優しく、そしてスープによっては栄養素も多く含まれているので
飲んだ次の日や、食欲のない時に最高です。
話は戻り、お店につくと、昼12時を少し回った時間でしたが、
席はいっぱいで座ることができなくテイクアウトすることにしました。
その梱包の仕方がかわいくこぼれにく構造にさすがだなと思ってしまいました。
※以前はご飯は四角い容器に入っていたのですが?
私は個人的にはかなり、住宅デザインに対するトラウマがあったのですが。
最近のニュースの被災地の映像を見るたびに、住宅における安全、安心といった。
ことに対する、興味が出てきてしまいました。
(ここまでの被害を食い止めることは難しいと思っていますが!)
基本的に、日本も含め世界的に住宅とデザインの結びつきは深く、その時は芸術に近いものと、
機能的な部分がしっかりと交わった形状ではなかったかと思いますが、
現在その部分を両立できる、デザイナーという職種も認められ、
日々、個性のある住宅ができていると思います。
但し、機能に含まれる安全面はどうでしょうか?
なかなかその部分に対しては、考えている設計デザイナーが少ない気がします。
私は、まだできていませんが、デザインこそ、その部分をも考え素敵な住宅をつくらさせて
いただかないといけないのではと考えています。
私は高山の白川郷しかり、その土地の風土にあった建物を考え、そして
個性のあるデザインにしてこられた、古き職人さんたちの考えを今に進化させる。
住宅を作りたいと、強く感じました。
デザイナーはデザインしてあたりまえなので、逆に先人のミスを見直し、
飛躍的に前進できるように頑張ります。
そのための一歩です。
私達にできること、私はインテリアデザイナーという職種の仕事をしています。
私のまわりにも多くのデザイン関係の仕事をしている人達がいます。
そんな仲間に依頼してできたポスターをもしよかったら利用してください。
使ってみたいと思われた方は以下のアドレスへメールをください。
PDFデータを返信します。
私たちにできること。
飲食店のデザインの仕事を多くさせていただいているので、
よく耳にするのが、また予約がキャンセルになったということや、夜 飲食店街に、
人が出歩いていないということです。
東北地方太平洋沖地震がおこり、多くの方が、お亡くなりになりそして
今も救助をまっている人たちや、救助活動を行っている方がいることを考えると、
確かに外出を控えようと思う方も多くいると思います。
でも日本全国の人達が目指していることはこの大震災からの復興だと思います。
復興は失ってしまった街などをもとに戻すことです。
それは経済においても同じだと思います。
日本という国で本当に多くのかたが、今この震災の地にて復興を目指し
日々がんばっておられます。
但し経済はどうでしょうか?
被災地では経済の復興は行えません。
どこが行うべきか?
それは震災にあっていない、街や人が行わないといけないのです。
そして経済とは社会が生産活動を調整するシステム、生産活動そのものです。
その内にある消費は本当に誰にでもできる、経済復興へのキーになると思います。
決して高級なものを買うということではなく、服を買うこと、お店で食事すること、
理容室や美容院に行くことなどです。
たまたま、昨晩に某ビールメーカーの方と話していたのですが、被災地に営業所も
ビール工場もあり、勤めておられた方は今、避難所にいる方も多いそうです。
その後、ふと思いました、経済が動くことができない被災地では、
復興後に仕事はどうなるのかと。
但し某ビールメーカーのビールは日本全国で飲むことができ、消費できるのです。
本当の意味で被災地が復興するために、経済を被災していない街の
人間が気丈に振る舞い、今以上に動かしていかないと街がもとどおりになったとしても、
その後に起こる、経済低迷による人的災害により日本はだめになってしまいます。
街はもとにもどったが、しかし、会社が倒産してしまっていては意味がないのです。
食事は毎日していると思います、髪は伸びます、季節が変われば服も変わります。
経済の動きを止めてはだめです。
1人で家で食事をしてお酒を飲むよりも、多くの仲間と食事をしたほうが元気が出ます。
悲惨な情報のみをえていると、被災にあっていない人達もメンタル的におかしくなって
しまいます。
そとに出ましょう、わざわざ遠くに行く必要はないと思います。
今いる場所の経済をしっかりささえ経済を動かしていきましょう。
本当の意味での復興をとげその時にみんなが笑顔になれるように!!
生意気なことを言ってしまい、申し訳ありませんが、
今 被災していない街で人災による被害が拡大しようとしていることが、
どうしても疑問に思ってしまったので。
ばか騒ぎはよくないと思いますが、
そうでなければ、気丈に振る舞い以前と変わらない生活を送りましょう!
日本が止まってしまっても、世界は動き続けます、1日は過ぎていきます。
翌朝、8時30分にホテルで待ち合わせをし、小浜市へ
※小浜市!?
到着した場所は御食刻若狭おばま食文化館。
2Fにあります、若狭工房へ。
若狭の伝統工芸の、若狭塗と若狭めのう、そして若狭和紙の説明をきき、
そして見学をさせていただきました。
若狭塗と若狭めのうは本当に、昔からの技法と考え方を守り続けてがんばってみえるのが、
よくわかりました。
但し疑問です、伝統工芸を残したい、でも購入者が少なくなってしまったので、
次ぐ人もいなくなり、今の職人さんの代で終わってしまう、いつも思うのですが、
伝統工芸を残すために、もうひとつの道を考えることも
職人さんたちには必要ではないでしょうか?
本当にもったいない、
但し福井県は
『福井県伝統的工芸品 購入補助・利用店認証制度』
なることを行い、バックアップをしています。(指定の商品のくくりがあります。)
※30万以上ですが約1/4の補助がでます。(上限有)
利用店認証をもらうことができると、1/3の補助になるそうです。
他の他府県もやっているのかな?
小浜市だけに!